『WIRED』さんの企画で、文化人類学者の磯野真穂さんと対談しました。

ロケーションは神奈川県にある江之浦測候所で、とても幻想的で不思議な場所でした。(当日は冊子をもらって帰って、家で家族といっしょにワイワイ言いながら眺めました)

当日頂いたテーマは、「コモンズとしての未来」。この問題設定はそれ自体が興味深いものであると感じました。コモンズとは一般に、誰の所有物でもない、開かれた共有地を指しています。そうした共有地が誰かに独占され、資源が乱獲され、枯渇していくということが、経済学において「コモンズの悲劇」と呼ばれる事態です。

私はコモンズに関する専門的な知見はもっていません。しかし、論理的に考えるなら、コモンズについて考える際、「誰が」「何を」共有しているのか、ということを整理する必要があります。「コモンズとしての未来」が語られるとき、そこでは誰が何を共有しているのでしょうか。

多くの場合、「現在世代が未来世代と資源を共有している」という形で、未来世代への配慮は語られます。しかし、この場合には共有されているのは資源であり、未来ではありません。

未来そのものを共有物として考えるなら、こう考えなければなりません。つまり、「現在世代と未来世代は、未来を共有している」と。

では、「未来を共有する」とは、何を意味しているのでしょうか。今回の対談では、ドイツの哲学者ハンス・ヨナスの思想を応用しながら、それを私なりの仕方で解釈し、対談に臨みました。

当日、磯野さんとの対話がどのように進行したのかについては、是非本誌をご覧ください。↓